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 自転車雑誌「FunRide 」2007年10月号 『ニッポン最速列伝 #079』より

 


いまさらながら2007年の雑誌掲載記事をここで紹介するのもお恥ずかしいのですが・・・
MTBの全日本選手権・マスタークラス(30歳以上の部)で優勝した際に取材していただきました。
なかなかこれほどまでに私のことをカッコよく書いていただけることなんてありませんので
自己紹介になればと思い紹介させてください。(過去の栄光の自慢話をお許しください!)

以下は自転車雑誌「FunRide」2007年10月号より転機した文章です。

 

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『ニッポン最速列伝 #079』XCマスター全日本チャンピオン 三上 和志さん

秩父山系に近い埼玉県飯能市でサイクルショップを経営する三上和志さん。
20代はジャパンシリーズにフル参戦するエリートクラスのライダーだった。
店をもち、練習量は激減したが、今年、マスター全日本のタイトルを獲得。


〜 その秘訣は、発想の転換にあった 〜

取材中、注文していたチームジャージを引き取りにきたお客さんがいた。

「あちらは長野(関西)から転勤されてきたんです。どこに住もうかと迷って
いたら、長野に住む僕のレース仲間に『飯能がいいよ』と勧められた、と」

東京へ通勤圏ながら、自然に恵まれた埼玉県飯能市に、サイクルハウスミカミ
を開業したのは2002年。三上さん自身、飯能の隣町、入間出身だ。
いまも、子どものころに遊んだ山でMTBに乗る。

ショップを構えるまで、ジャパンシリーズにフル参戦するXCエリートライダーだった。
しかし、「ずっと体育は苦手。昔の友だちの飲み会にいくと、『三上がこんなふうになる
なんてなぁ』と言われるくらいです」

MTBと出合ったのは高校時代。80年代半ば、日本で流行りだしたこの新しい自転車が、
埼玉にも少しずつ入ってきていた。

スポーツは不得手でも、「木工クラブ」で放課後、モノづくりに没頭するほど道具を
使うことは好きだった。MTBに惹かれたのは、そのカッコよさとメカへの興味からという。
アルバイトをして手にいれた5万円のMTB。ときどき学校に乗っていくと、駐輪場に自分の
を入れてMTBは3台しかなかった。それも誇らしかったという。

MTBの本当の楽しさを知ったのは、北海道・北見の大学時代。地元のショップに出入り
するうち、レースに誘われた。

「レースに興味はなかったんです。前の日からキャンプしてバーベキューする、と聞いて」
ところが、意外にも初レースのスラロームで5位に入賞した。

「うれしかった。あれがなければ、いまの自分はありません」
こうして当時、北海道MTB協会が道内各地で開催していたシリーズ戦を転戦するようになった。

「前の日、キャンプで一緒にお酒を飲んでいたおじさんたちが、レースになるとすごい速いんです。
自分よりひと回り以上、年上で子どももいるのに。自分もがんばらなきゃいけない、と」



〜 自分のための練習は現役時代の
20分の1 〜

大学を卒業するころ、北海道ランキング2位までになる。就職活動が実のならないまま、
卒業後、北海道に留まっていたある日、レース仲間の「おじさん」が言った。

「北海道でナンバー2まで来たんだから、全国でどこまでいけるか、やってみろ、と。
オレはもうやれないけれど、お前ならできる、とね」

意を決して埼玉に帰る。窓拭きのアルバイトをしながら、ジャパンシリーズに参戦。

「清掃会社の社長が磯釣りの日本記録を持っているおもしろい人で、ぼくのレース活動にも
理解があったんです。仕事をてきぱきと終わらせたら自由だ、練習していいんだぞ、と」

会社は埼玉にあったが、現場は都内。朝、会社のワンボックス車に自転車も積ませてもらい、
仕事が終わると、練習しながら帰ってきた。

選手時代、ジャパンシリーズの最高成績は5位(2000年)。北海道・小樽大会で出したものだ。

「札幌出身の堂城賢選手とぼくとで5位争い。ふたりとも『北海道出身』だから、コースの
どこでも応援されてはりきりました」

サイクルハウスミカミを開業してからも、ジャパンシリーズには参戦し続けている。
もちろん全戦は不可能だ。

「さすがに最初の年は成績が悪くて、2年目はエキスパートに降格。やっぱりレースを
やるならエリートで走りたいんですよ。その年、最終戦の青森で優勝してエリートにあがりました」

1シーズンに出場できるのはせいぜい4レース。その4レースでエリートに残留できる
ように、集中するのだという。

 ショップのチーム「サイクルクラブ3UP」は、よく走るチームだ。週末の練習会はもち
ろん、イベント参加、埼玉から日本海まで300
kmを超える走行会など。しかし、

「選手時代の強度と比べたら、いまお客さんと走っているのは『健康づくりのための
サイクリング』の強度」

自分のためのトレーニングは、最も多かった昨年で1080km(年)。
今年はまだ300kmしか乗っていないという。

「アルバイトしながら練習していたころは、月に2000km乗っていました」

もともと週に一度、定休日の午前中を練習にあてる、と決めていた。しかしそれも、
子どもができてからは、家族で過ごすほうが多くなった。

     

高負荷で乗り込まないと、筋力はてきめんに落ちる。そのぶんレースはテクニックで勝負する。
「ゆっくり操作したりていねいにペダリングしたり」、選手時代とは身体の使い方がまったく違うという。

「現役のころに、いまと同じ乗り方ができていれば、もっと上までいけたかもしれません(笑)」
筋力はなくても上手に走ることはできる、と気づかせてくれたのはお客さんたちだ。

「店を始めたころ、ぼくはゆっくり走ることができなかったんです。お腹の出た人が、急勾配を低速
で上っているのを見て、ああいう走り方もあるんだ、と。小学生だって筋力はないのに、急坂を上って
くる。そうか、力まず走ればいいんだ、と教えられたんですよ」

お客さんにアドバイスすることは、わが身を振り返ることでもあるという。
「たとえば、前を向いて走りましょう、と言います。じゃあ自分はできているのか、と」


〜 通勤の15分もムダに乗らない 〜

全日本選手権のマスタークラスには、一昨年から出場している。一昨年は富士見(長野)
で2位、昨年は瀬女(石川)で3位。

「昨年は豪雨で、トップを走っていたんですけど、濁流のようになったところでぼくから3位の人
までそろってパンク。店をやっている以上、パンク修理で失敗するわけにいかないと緊張しました(笑)」

そのパンクで「もっとていねいに走らなければいけない」と気づいたともいう。

 

今年7月の全日本選手権、会場は現役時代から何度も走ったことのある田沢湖(秋田)。

「いままで田沢湖は、長く上って長く下るパワーコースだったけど、今年は山を横に使うというか、
テクニカルなコース設定でした。それがぼくには有利だったかもしれません」

通常のジャパンシリーズでは、誰かと競うよりタイムアウトとの戦いだ。年に一度、
全日本選手権マスタークラスは「優勝争いができる」特別なレースだという。

「王滝100kmを走りきれば達成感はあります。だけどあれは自分との戦い。競っている
おもしろさがあるのはクロスカントリーです」

三上さんがナショナルランキング16位だった2000年。それまでジャパンシリーズで近いところ
にいた竹谷賢二選手が、初めてナショナルチャンピオンのタイトルを獲得、三上さんは衝撃を受ける。

「当時、竹谷さんはフルタイムで働くサラリーマン。フリーターとして負けるわけにはいかない
と思ったものでした」
ショップを構えて乗る時間が取れなくなったとき、竹谷選手がサラリーマン時代にどんなトレーニング
をして強くなったのか、初めて納得がいったという。

「寝不足で苦しいトレーニングをしても集中力がもちません。それならどんなに短時間でも、できる
ことをやったほうがいい」

朝、家を出てショップまでわずか15分を、ペダリングスキル向上に役立てることはできるという。
「うまくなりたい、といつも思っているんです。シングルトラックを滑らかに走りたい、とね――」

 

PERSONAL DATA

生年月日/1972626

出身地/埼玉県入間市(現住所は飯能市中居)

家族/妻、長男(3歳)、長女(1歳)(現在は5歳と3歳)

身長/176cm 体重/64kg

所属チーム/サイクルクラブ3UP.(サンアップ)

使用する自転車/トレック TOP Fuel

主な成績/05年 全日本マスター2位、XCナショナルランキング65位、王滝120km6位、06年 ジャパンシリーズ八幡浜16位、富士見27位、さのさか31位、全日本マスター3位、王滝120km4位、XCナショナルランキング35位、07年ジャパンシリーズ富士見36

心がけていること/睡眠が6時間以下のときに追いこむトレーニングをしない。通勤の15分でもペダリングスキル向上を心がける。ゆっくりロードバイクに乗るときでもダラッと走らず、軽いギヤでケイデンスを維持する。身体に必要な栄養は食事から摂り、「クスリっぽいもの」は避ける、など。